要約って言っても1/3くらいの分量でまとめるから結構長くなるかも。。
著作権引っかからないように表現とか自分なりに変えつつな忘備録です。
願望実現=ある特定の欲求が満たされること
・呼吸をする
・水を飲む
・学校や会社など目的地に向かう
・電話をする
・youtubeを見る
日常生活で当たり前のように行なっているこれらも、願望実現。
私たちは常に願望実現の連続で生活をしている。
これらは当たり前すぎて「特定の願望を実現している」という意識がなく、ほとんど自動的に行われているため、
願望達成の連続であることも意識されていない。
一方で
・特定の車を手にいれる
・特定の職業に就く
・特定の人と恋愛関係になる
・特定の金額を期日までに得る(大金持ちになる・宝くじを当てる)
私たちが願望を呼ぶのはこの類のもの。
先程のものと違い、これらのものは実現にある程度の苦労を伴ったり、
自分ではどうしようもない事柄のように思われています。
前者は実現できるのが当たり前、後者は困難なものと思われがちです。
~前者~
そうしたいと思ったと同時に(特別に意識することもなく)目的を達成するための行動を起こせます。
どうすれば実現できるか方法を知っているし、実現までにたどるプロセスも分かるため
実現に対する障害を考慮する必要性がないです。
すなわち「達成できて当たり前」という認識が出来上がっています。
~後者~
「達成できて当たり前」とは思えていない事柄。
・様々な条件をクリアしていかなけらばならない
・自分の力だけではどうにもならない事柄
・相手の意思、物事のタイミング、運などの要素が必要になる
故に単純に「実現を実行する」と意図できない。

前者は実現できて当たり前なので、願望を抱いてから実行・達成するまでに思考が介入しません。
願望が発生したら、即実行です。
一方で後者は実行・達成するまでに思考・状況判断が発生します。
例えば水を飲むという行為
「水道で水を飲んできてください。」と言われてできるかなど思考しませんよね。
すぐ行動できて当たり前のことと認識していると思います。(前者的な考えができますよね。)
では水を飲むという行為をする前に思考を挟んでみます。(後者的な考えをしてみます。)
・水道から本当に水が出てくるか?
・水をうまくコップに入れることができるか?(途中でコップは割れないか。コップからこぼさないか。)
・コップの水を無事に飲めるか?(口はちゃんと開くのか。口に入れても飲み込むことはできるのか。)
他にも蛇口まで無事辿りつけるか、など無限に思考することはできます。
が、
正直馬鹿馬鹿しくなりませんか?
だって「水道で水を飲む」という行為はあなたにとって簡単で、考えることもなく実行できることだからです。
しかし、この思考している間、果たして水は飲めたのでしょうか?
この時点では思考をしただけで、まだ水は飲めていません。
「可能か否か」と思考を働かせたことによって「水を飲む」という願望の実現は保留にされたのです。
意図が願望の実現を実行に移す前に、思考がそれにストップをかけたのです。
思考は願望の実現のためのツールではなく、むしろ阻害するものなのです。
願望実現をするには思考の範囲から抜け出す必要があります。
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